命のバトン
祖母が亡くなりました。
90歳。
施設に入り3年弱。
たくましく、バギーを押して歩いていた祖母の足腰が弱り、寝たきりになって、1年くらい。
どんどん小さくなっていく祖母。
食べられなくなり、水も飲まなくなり
身体は枯れていった。
客観的にみて、死に近づいているのがわかっていた。
自然にいけばよいと思っていた。
でも、やっぱり、別れの時は悲しかった。
子どもがいて、仕事してて、危篤の連絡が来て、会いに行きたいとも思ったが、まずは母に行ってもらわなきゃ。と思った。出しゃばってはいけない。と。でも、休みを取って、行くこともできたな。と今なら思う。
母が一晩、祖母と過ごし、帰った。誰も家族が居ないところで息を引き取ったらしい。
寂しくもあり、それが祖母らしいのかもしれない。と思った。
通夜から告別式までたくさんの親戚に会えた。祖父もなくなり、こんなに集まることはもうないんじゃないか。と遠い親戚のおじさん、おばさんは言っていた。
祖母も祖父も10人や11人兄弟で母のいとこは100人くらいいるらしい。
見たことあるけど、誰かわからない。そんなおじさんやおばさんがいっぱいいる。
曾祖母、曽祖父がいっぱい子どもを産んで育ててくれたから、祖母が母を生んで育ててくれたから、今の私がいる。
そして、私に子どもがいる。
私が託された代々引き継がれたバトン。それを私も祖母のように見守ることができるんだろうか。幸せやなぁ。私のバトンが繋がってるんやなぁ。って思って老後を迎えたいと思った。
祖母に手紙を書いた。
読んでくれてますか。
おばあちゃん、会えなくなってさびしいよ。私の手紙届きましたか。いっぱい
いっぱいありがとう。