我慢からみえること
職場の方とランチへ。
その方には夫の不調のことも話している。私のことも気づかってくれる。
私が自分のことを話すと、聞いてくれる。
そして、私はしんどくなってしまった。自分が我慢してたこと、周りに頼りたいのに頼ろうと動けていないこと、頭の中で考えていたことが明らかになって、しんどくなった。
そんなに考えなくても、気を使わなくても我慢しなくてもいいんじゃない?って言われた。
私は我慢してたのか。わからない。でも、ランチから帰ってからあれこれ考えて、とても疲れている。久しぶりにその方と会えて、わざわざ我が家の近くまで車で来てくれた。送迎付きでとても助かった。気になっていたお店にも行けた。でも、疲れている。
私はいつも自分のことを幸せと思ってはいけない。幸せなことを周りに伝えてはいけない。と思ってるのかもしれない。目立ってはいけない。とか。不満を言えば守られるとか?でも、私が聞き手の場合、相手が幸せなのが嬉しいし、不満ばかり聞きたくない。私だって幸せよ。って言いたいのに。心では言いたいのに。
とくにパートナーの良いことを言うことが苦手なようだ。なぜ、今パートナーと一緒にいるのかと聞かれて、答えられなかった。なぜ居られるのだろう。
帰宅後、小泉進次郎と滝川クリステルの会見を見て思った。そうだ。理屈を超えるところで私はこの人と居るのかもしれない。でも、なんでなんだろう。結果として、可愛い子供が2人も生まれ愛さずにはいられないし、素敵な無添加な家に両親と住んでる。現在出ている、この結果は素晴らしい。
では、その途中式にいるパートナーのことは素晴らしいのか?パートナーについては、粗探しばっかりしてる。そこは改めて、あるものを見つめてみよう。生きている。側にいる。家に帰ってくる。ギャンブルしない。私がすることを認めてくれる。子どもの世話も多少だがしてくれる。家事も多少だがしてくれる。やれた気になるな!って思うけど、あるものを探すのだ。私のことを好きと言ってくれる。なんでも美味しいと食べる。食べ物の好き嫌いが少ない。私の両親と住んでくれている。
よーわからんけど、私と一緒に居てくれてありがとうやわ!夫!この気持ち伝えられますように。