緩和ケア
母の癌は大きくなっていて、心臓や肺の周りにも水が溜まってきている。これが、癌ができているからなのか、それとも癌が大きくなって動きづらくなり、心臓や肺に負担がかかっているからなのか、真意はわからない。でも、母の体に負担はある。
新しい抗がん剤を始めるために、来週から母は入院する。その先、何回抗がん剤ができるかわからない。そもそも、この薬が効果があるのかもわからない。心臓や肺の水を針を刺して抜くほど溜まってるわけではない。そこまでして水を抜くよりも抗がん剤をすることで腫瘍の成長を止めたり、水が溜まるのが減ったらいいな。っていうレベルだ。治らないのだ。これも大きい意味での緩和ケアなのだ。
退院した時、今よりもしんどそうに帰ってきそうだから嫌だなと思う。だけど、このまま何もせずにいたら、どんどん息が苦しくなりそう。それもしんどそうだから、抗がん剤ていいのかな。いいのかな。
だって、今も話しながら咳が止まらなかったり、少し歩いたら息が苦しくなったりしてる。それが最近動かないから、筋力が低下した。それだけではないように思うのだ。
主治医が異動で変わって、言葉を選ばない人になり、ドキドキぐさっとくる。何気ない言葉。どれくらい効くかわからへんけど。結局、その人が長生きするかどうかは、その人が元気かどうか。動いてるかどうか。この薬に抵抗性ができた。
6月は母と田植えに2回も行った。それでしんどくなったかな。って思ったけど、動いた方が元気なのなら、これでよかったのかな。
長生きしてほしいけど、カゴの中の鳥のように、じっとして大事に過ごすだけでは、何の楽しみもない。
母が孫や家族や友人と過ごして、楽しいな。と思ってもらいたい。
誰も一日生きれば死に1日近づく。私も母もそう。だけど、母は人よりもそのゴールが近い気持ちがする。
ここ数ヶ月、ちょっとだけそのことを先延ばしにしてて、考えないようにしてた。このまま続いたら良いなって。そんなわけなかった。忘れる自分の性質は良くも悪くもある。また母と向き合う日々だ。今までもそうだったんだけど。
毎日仕事やることがあることに感謝するけど、目の前のことしかできない。なんてダメ人間な私なんだ。理由をつけて、仕事を人にやってもらってばかり。何したらいいんだかわからなくなってる。
今日も私たちは生きている。